カウンセリング治療を受けて感じた、日常生活で心がラクになるマインド。
カウンセリングとEMDRの治療を過去にうけていた私ですが、その中で日常でも使える、心がラクになると感じたマインドがいくつかあるのでシェアします。
(治療についてはこちら。)
安心できる場所を常に心に。
これは治療をうける中で、つらい出来事を思い出したあとに、リラックスするために行っていた方法です。
自分がリラックスできる、心が穏やかでいられる場所を頭に思い浮かべてください。
できるだけ鮮明に、その場所の空気感も感じられるように。
好きな場所、田舎、自宅のベッドの上、浜辺。どこでも良いです。
私の場合は、晴れた日の公園の広い芝生の上です。
さわやかな風がふいていて、人は少なく、青空が広がっている景色。
そこに自分がいることを想像してください。
ふっと心がラクになりませんか?
その風景をいつでも思い出せるようにしてください。
辛い出来事を思い出したり、嫌なことがあって気分を変えられないときなどに、頭のなかからその風景をもってきて、気持ちを落ち着かせてください。
優しくしてもらった記憶を思い出す。
心がほっとするような、誰かに優しくしてもらった記憶を思い出してみましょう。
・子供のころ、おばぁちゃんに優しくしてもらったな
・職場で疲れてるときに、先輩がお菓子くれたな
・悩んでいるときに、友達が親身になってくれたな
・八百屋のおじさんが、野菜安くしてくれたな
なんでもいいです。小さいものから大きいものまで。
子どものころのことから、最近の出来事まで、時期も問いません。
自分に嫌気がさしていたり、自分の価値を認められないときなど、「愛されていない」という風に感じるときに特におすすめです。
あなたも、「愛される存在」「優しくされる存在」であるということを感じましょう。
もやもやを吐き出す場所をつくる。
「あの上司、なんでこんなに理不尽なんだーーー!!!」
「休日なのに、雑事が多くて休めない~~」
そんなもやもや、抱えていませんか。
これを吐き出せずに心にため込んでいたら、何にもやもやしているのか分からない、でもなんかストレスを感じる…!という状態に陥ります。
なので、もやもやを感じたら吐き出す場を作ることをおすすめします。
それはパートナーでも、友人でも良いですが、おすすめはノートです。
①もやもやした出来事
②何故もやもやしたか?
③どうしたら良いか??
④最後はポジティブな言葉で。
この順に書くのがおすすめです。
例えば、
①「上司が理不尽な要求をしてきた。」
②「この間と言っていることが違うし、今は他の仕事に追われている。
詳しい説明もないし、上司は私の仕事の状況を把握しているのか??
私の頑張りも知らないで・・・!」
③「次回から…状況を説明する?なぜ方向性が変わったか聞いてみる?
社内に味方をつくって協力しあう?コミュニケーション不足?
いやだなと思ったところは、半面教師にして気を付けよう。」
④「今日も仕事を頑張った私はえらい!
今度の休みは温泉にでも行こう(*´▽`*)!!!」
というような感じでしょうか。
悩みって、そんなにすぐは解決しないことも多いと思います。
もやもやした原因とその解決方法を視覚化したら、フォーカスする視点を変えて、何か楽しい気持ちになれることに思考をずらしてしまうことも良いと思います。
とにかくため込まずに吐き出すことです!
辛い記憶を扱う日を決める。
これはカウンセリングを受けられている方向けになります。
私がそうだったのですが、日常生活でふとしたときにつらい記憶を思い出してしまう、もしくは考えてしまうんです。
そうすると頭の中はそのことで支配されてしまって、不安感、絶望感みたいなものにつきまとわれてしまいます。
これはたぶん心からのSOSだと思うのですが、カウンセリングなどを定期的に受けている方であれば、「大丈夫、今度のカウンセリングの時にね。」と心に話しかけます。
辛い記憶を封印することは難しいですが、扱う日を決めてしまうことで、その他の日は穏やかでいられることが私は増えました。
被害を受けても、ずっと被害者でいる必要はない。
とくに性犯罪の被害を受けてから、「被害者」であるということが私を縛っていたように思います。
被害を受けたから、男性が怖い。お付き合いも破綻する。トラウマを抱えて生きていかなければいけない。
もちろん、被害者は守られ救済されるべきだと思いますが、いつまでも「被害者」という枠組みの中で生きていく必要はないと思います。
被害をうけたから、汚れてしまった、幸せにはなれない。
そんな悲しい考え方はせずに、幸せになれるという穏やかな選択肢を持つことが、私の救いになりました。
辛い出来事があっても、その出来事にあなたの人生を決めさせてしまうことなく、あなた自身であなたの人生を決めましょう。
辛い記憶を思い出して、普段の生活にも支障をきたして、なんでうまくいかないんだろうって涙する日が続いても、「被害者」でなく「自分自身」として生きることはできます。
いつまでも被害者でいる必要はありません。